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野口英世記念館について
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東京時代

東京時代

1896(明治29)年、医術開業前期試験を一回で合格した野口清作は、
一年後の後期試験にむけて大変な努力をしました。
血脇守之助先生の計らいで高山歯科医学院の門番や授業時間を知らせる鐘を鳴らす係りをしながら勉強に励み、
受験準備のために済生学舎にも通いました。1897(明治30)年、
後期試験に合格して医師の資格を得た清作は、高山歯科医学院や順天堂医院に勤務しました。
翌年1898(明治31)年、細菌学の研究者を志して伝染病研究所に入所しました。
このころ清作から英世へと改名しました。海外での研究を夢見ていた英世は、横浜海港検疫所、
清国牛荘での勤務ののち、1900(明治33)年、フレキスナー博士を頼って渡米しました。
医術開業免状
1897(明治30)年に医術開業試験に合格した清作は、患者を診る医者より、病気の原因をつきとめ、より多くの人を救うことができる研究者の道を選びました。そのため合格後すぐには医術開業免状の取得の申請をしませんでした。この免状を取得したのは渡米間近の1900(明治33)年9月のことでした。
小説当世書生気質
当時のベストセラー小説・坪内逍遥の『当世書生気質』を読んだ野口清作は、登場人物の名前が清作によく似た「野々口精作」であることを知りました。しかも医者をめざす優秀な学生が、勉強を怠けて堕落してしまうストーリーでした。清作は、自らそのようにならないようにと酷似する名前を嫌い、小林栄先生に改名をお願いしました。小林先生は、「英世」という新しい名前をつけました。

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