記念会の成り立ち
野口英世博士は1928(昭和3)年5月21日に、西アフリカの黄金海岸(現在のガーナ共和国)アクラで、自ら研究していた黄熱病に感染し51歳の生涯を閉じました。野口博士が殉職した翌月29日、東京丸の内の日本工業倶楽部で追悼会が開かれました。追悼会の後、有志が相談し、「野口英世博士記念会」(現在の公益財団法人・野口英世記念会)の設立が決まりました。
記念会は、野口博士の生家の保存、記念碑の建立、野口英世記念館の設立などの事業を行うことを決め、東京都新宿区に本部を置いて募金活動を始めました。1938(昭和13)年、「野口英世博士記念会」は、文部大臣から財団法人の認可を受け、翌年の博士の命日、5月21日に、博士の誕生した猪苗代町に「野口英世記念館」を開館しました。記念館には、メリー夫人、ロックフェラー医学研究所、小林栄先生らから寄贈された博士の偉業を顕彰する資料や遺品が展示され、1954(昭和29)年に、福島県登録博物館第1号に認定されました。
その後記念会は順調に発展し、事業の拡大を図り、1957 (昭和32)年に医学研究の発展に寄与することを目的に「野口英世記念医学賞」を、1958(昭和33)年に人材の育成を目的に「野口英世奨学金制度」を創設しました。また猪苗代町の児童・生徒の事業を支援することを目的とした「野口英世記念顕彰事業」を1961(昭和36)年に始めました。なお、記念館は1978(昭和53)年に2階建展示館を増築し、さらに2015(平成27)年に、全館の増改築をしました。
記念会は2013(平成25)年に「公益財団法人・野口英世記念会」に移行しましたが、その機会に東京都新宿区の本部を閉じ、野口英世記念館のある猪苗代町に移しました。
沿革
1928年 | 5月21日 | 野口英世博士が西アフリカの黄金海岸(現在のガーナ共和国)アクラにて、 自ら研究していた黄熱病に感染し死去 |
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6月15日 |
ロックフェラー医学研究所にて葬儀の後、 ニューヨーク市ブロンクス区のウッドローン墓地に埋葬される |
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6月29日 |
日本工業倶楽部において、追悼会が開かれた。 追悼会終了後「野口英世博士記念会」の設立が決定 |
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1929年 | 秋 | アメリカから博士の遺品が多数届く |
9月29日 | 生家前に、「忍耐の碑・誕生地碑」建立 | |
1930年 | 秋 | 再度アメリカから博士の遺品が多数届く |
1938年 | 8月23日 | 文部大臣より「財団法人野口英世博士記念会」の設立認可 |
8月 | 生家の補強工事及び記念館建設に着工 | |
1939年 | 5月21日 | 野口英世記念館落成、観音堂一葉観音開眼供養 |
1949年 | 12月 | 財団法人本部事務局を東京・新宿に移転 |
1954年 | 10月10日 | 福島県登録博物館第1号に認定される |
1957年 | 11月15日 | 野口英世記念医学賞創設・第1回野口英世記念医学賞授賞式 |
1959年 | 4月 | 第1期野口英世記念奨学金貸与開始 |
10月 | 野口英世記念会報(第1号)発刊 | |
1962年 | 11月9日 | 野口英世博士顕彰記念作文コンクール開始 |
1963年 | 5月21日 | 野口英世記念館増築・落成 |
1966年 | 1月15日 | 野口英世記念会館(東京・新宿)落成 |
1976年 | 11月 | 野口英世生誕百周年記念事業が各地で行われる |
1978年 | 12月6日 | 野口英世記念館新館落成 |
1981年 | 11月16日 | 生家解体修理、上屋落成 |
1988年 | 8月23日 | 財団法人野口英世記念会設立五十周年 |
1989年 | 5月21日 | 野口英世記念館開館五十周年 |
1995年 | 11月9日 | 野口英世博士顕彰記念少年科学賞創設 |
1997年 | 12月2日 | ガーナ共和国政府より野口博士に勲章授与 |
2004年 | 11月1日 | 新千円札発行、野口博士が紙幣肖像のモデルとなる |
2006年 | 12月20日 | 野口英世至誠館落成 |
2009年 | 3月 | 野口英世記念館に野口博士の研究室・博士ロボット設置 |
2011年 | 4月 | 財団法人本部事務局を福島・猪苗代に移転 |
2013年 | 4月1日 | 公益財団法人野口英世記念会に移行 |
2015年 | 4月1日 | 野口英世記念館新展示室増改築・落成 |
2022年 | 7月2日 | 野口英世記念感染症ミュージアム開館 |